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オーラについて

昔は「精神世界」と日本語で呼ばれ、一見怪しげなムードを醸し出していたジャンルも、今ではメディアのおかげ?で「スピリチュアル」というお洒落な?名称が一般化して気軽に日常会話に登場する様になりました。喜ばしい事かどうか分かりません。 

ポピュラリティを獲得するということは、すなわちそのものの本質から離れ、瓦解へと向かうという事に等しいのではないかと思います。 スピリチュアルというものがコンビニ感覚で誰の手にも触れる事の出来る状況というのは、とても危険だということですし、その現状は人間の傲慢さやエゴや偽善、自己顕示欲を浮き彫りにして、逃避する術だけを教える様なものではないでしょうか。

人気の江原啓之さん出演のTVでオーラというものに再び脚光が集まっていますが、それを言葉で診断するだけで、なかなかTVではオーラそのものの存在について科学的な検証がなされようとする気配は一向にありません。それは意図的にオーラ、いや、それだけではなく、スピリチュアルという世界全般に誤解を持たせておいた方が業界が大衆を操作し易いからなのです。これは勿論、江原さんの意図というよりメディアの意図であり功罪でもあるように思います。 

この誤解が、いろんな商法にとって都合がよく、スピリチュアル界は久し振りの好景気で沸き上がっているようです。そして間違った知識や思い込みが、それ自体にある種の主体を持ち、別個性となって一人歩きしていく危険性を孕んでもいます。 

例えばオーラについて。 
恐らく多くの人のイメージは人の背後に後光の様にきらめく色鮮やかな光ではないでしょうか。最近では「私にはオーラが見える」という一般の方も増えて来ている様で、そんな方もこのように見えているのでしょうか。またそのように見えるという根拠の一つにされているのが、ショッピングセンターやパワーストーンショップ、スピリチュアル系のセミナーや展示会などに設置されている「オーラカメラ」の存在があります。あそこに写る物こそ本物のオーラであると思っている人は不思議なくらい多いはずです。 

しかし、このオーラカメラはフォト・モンタージュというトリックによって成り立っており、人がその場にいなくても、ただ黒い背景だけを撮影したとしても、極彩色の美しいオーラが写ります。オーラは生物特有のものであるはずなのに。 つまりこのオーラカメラはソフト上でランダムに着色を施しているわけです。

オーラを撮影するものに「キルリアン写真」というものがありますが、このカメラにはキルリアン技術は残念ながら応用されていません。オーラカメラを信じて、お金を払って撮って貰おうと思う前に、このカメラにはキルリアン技術が用いられているかを、是非目の前にいる担当者に聞いてみるべきでしょう。

この「キルリアン写真」自体も生物の生体エネルギーを便宜的に三種類の色のフィルムに焼き付けているだけで、オーラそのものの色ではありません。(生体エネルギーの強さの配分を色に置き換えているだけで、それ自体がオーラそのものではない) この「便宜的」という意味をしっかりと胸に刻んでおくべきです。

オーラのイメージが先行してしまって、それが主体を持って一人歩きした結果の典型例ではないでしょうか。 まず「キルリアン写真」によって「生体エネルギー」が視覚化されることが分かり、その際に便宜的に三色のフィルムに焼き付けられた写真を目にした人が、その色をオーラそのものの色だと勘違いをしたか、何らかの目的でオーラそのものの色だと吹聴、喧伝したことが考えられます。それを信じ込んだ人々が、その後こぞって自分は色とりどりのオーラが見えると言い出し、色によって、その人のパーソナリティまで分かると飛躍させて行った、そしてそういう言説を取る人々をまた信じる人達が増え、それは疑いようもない定説となっていったと考えられます。スピリチュアル業界ではありがちなことです。

 

オーラの肯定派の根拠ともなっている「キルリアン写真」ですが、有名なのは半分に切断された植物の葉を「キルリアン技術」を用いて撮影をすると、切り取られて無くなった部分が発光し「キルリアン写真」上では半分に切断される前の完全な形をした葉が写るというものです。これを「ファントム・リーフ現象」といいます。これまでは切り取られた部分の葉にも、生体情報がオーラとして保存されており、それが「キルリアン写真」では捉えることが可能なのだと思われていました。しかし、近年ではこれは生体情報や生体エネルギーといった類いのものではなく、切断面より水蒸気が拡散し、これに電極から流れた電気が放電(コロナ放電)し、それが写真に捉えられたということです。つまりオーラを実証する根拠となっている現象そのものが、既に覆されているのです。

オーラを写真に捉えることが出来なくても、オーラは存在するのかもしれません。オーラは多くの人が抱いているイメージ通りではない、ということは現実です。江原さんに見えるオーラは、人が発する文字通りの「生体エネルギー」なのでしょうか。江原さんの場合オーラを一つのカウンセリング言語として、表現方法として巧みに用いて霊視と組み合わせているところがオリジナルです。そういうスピリチュアリストも多数存在しています。彼ら、彼女達はオーラの色を判別して、その人を見ているのではなく、先に霊視なりリーディングをしてその人の全体像を掴み、それを色に置き換えて表現していると言えます。 オーラ視は完全に一つの演出として機能していると言って良いのです。

私も実は人の身体の外側に淡く滲んだエネルギーのようなものが見えることがあります(特に指先などは顕著に見えます)。映画「プレデター」でプレデターが森に溶け込みながら蠢いている時のアレと同じ様にほとんど色がなく(まったくないわけではなく本当に森とプレデターとの関係の様な感じ)水が立体的になって人にまとわりついているように見えます。時折、それが酷く濁っていたり、透き通って綺麗だったりする人がいますが、オーラの一般的イメージの様に赤や紫や青や黄色に見える事はありません。オーラ信奉者からすれば僕が見ているのはオーラではないということになるかもしれません。だとしたら何なのか僕自身が聞いてみたいとも思います。恐らく、それは生体エネルギーなどではないのでしょう。

 

また、本当のオーラは色のないオーラの、さらに内部にある為に一定の能力以上の人でないと見れないと主張する人もいます。僕はこの色の無いオーラに色とりどりの彩色を施すのは、個人の観念や感性であると考えています。

 

スピリチュアルの世界で頑に信じ込まれている現象や事象は、経済活動に結びつき、人の心の闇や、不安や無知につけ込みます。そして人を欺き、惑わせ、妄信させます。スピリチュアルという世界の最も愚かしい部分というのは、最新の知見や、科学によって、かつて信じ込んでいた言説にメスを入れたり、是正したり、反省をしない点です。スピリチュアルの世界は、人に賢明であれと促しながら、実のところ、人が無知であって欲しいのです。その無知を利用して、経済活動を続けることが出来るからです。

 

勿論、スピリチュアルの世界にも、どんなに時間を経ても揺るがない部分、答えを追い求めなければならない部分もあります。そして常に、科学のメスを入れることも必要でしょう。スピリチュアルと科学は相対するものではないからです。

一番大切な事は、オーラを見る事、知る事、また前世を知る事などは今生において全く意味をなさないことです。それは極僅かな人間を経済的に潤わせる為の道具になっており、そんな隔たった能力や意味の無い能力を神や霊は与えないからです。今生はオーラや前世を知るためではなく、如何に利他的に生き、人生の意味を知るかなのではないでしょうか。

2005年 マーク・ケイ

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12/31/2018

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