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オーブについて
また心霊・スピリチュアル愛好家の夢を壊すおせっかいなコラムです。ごめんなさい。でもこうした些細な事に惑わされて気を揉んでいる方も多く、真剣に悩んで相談される事も多いので、別な機会にオーラを取り上げたのに便乗してオーブについても書いておきます。
まず最初にズバリ言っておくとオーブは映像制作会社、所謂メディア側が意図的に作り上げた新手の心霊現象です。オーブは球体を意味していることから、この様な光をオーブと名付け、その正体は霊魂であると流布して今日に至ります。 実際に意図的に作為的に流布されました。
デジカメの登場と共にそういった写真が撮れる事が知れ渡って、それを上手くマスコミや心霊現象を曲解している関係者達や霊能者が全ての球体の発光体を「オーブ=霊体」だと定着させてしまって現在に至るのが実情です。それが自分たちにとって都合がいいからです。
フィルム写真は二重露光が多かったのですが、それを抜きにして考えてフィルム写真全盛の時代に撮られたオーブ写真はほとんどないはずです。あればその方が多少の信憑性はあります。
昔はフィルム写真を現像に出すと、写りの悪い写真や、露光ミス、光学現象によるものは写真店側が気を利かせて消費者には渡さないのが常だったのですが、デジカメ全盛の時代になると現像に出すという行為自体が不必要となり、自分で撮影した画像全てを直接目にすることから、この様な写真がクローズアップされる機会が増えた訳です。またそこに、メンタル的な心の病み(闇)や傷を投影し、それが何らかの未知の物体や意思のある霊体であって欲しいという切迫した願いと期待感が、このオーブに価値を与え、一人歩きするに至ったのです。
ですからオーブは我々の心の問題とも密接に絡み合ったものだとも言えます。
例えばオーブ写真の原因として考えられるものは?
○周囲に飛散している埃・塵
○雨・雪・霧
○レンズ自体に付着した水滴・ゴミ・汚れ
以上の条件によって森林(雨や霧などの影響による)や家屋内(埃、塵などの影響による)では比較的写り込み易い。
「デジカメの到来」と「オーブ写真の出現」は密接にリンクしています。現在はほとんどの有能な霊能者や研究家はオーブに関しては問題にすらしていないのが実情です。
丸く写るのは何故かというとレンズが「円形絞り」だからです。そのレンズの前に埃や水滴が付着し(微細です)その状況でフラッシュ撮影をすると写ります。また近くに反射物があった場合も同様の理論で写ります。この場合ファインダーの中にこの反射物が入っていないので、尚更心霊写真だと騒がれます(撮影者が気付いていない場合が多い)。
先程、レンズが「円形絞り」であることを申し上げましたが、「オーブ」にも様々な形のヴァリエーションが存在する様です。円形ではないものもあるということです。これは、「アイリス(虹彩)」の形に起因しています。レンズの絞り、所謂「アイリス」は何枚もの羽根を重ね合わせたものが円形に組み合わされている構造になっていますので、羽根の数によっては円形ではない歪な「オーブ」が出来上がってしまいます。羽根の数、その羽根の動きの過程で歪な形が形成されるため丸以外にも、五角形、十字架など様々あります。安価なカメラでは羽根の数も少なく歪な形になってしまう傾向があるようです。
絞りを絞ると各羽根が動作をし(閉じて)、小さな穴の形状になります。また絞りを全開放状態にすると各羽根は収納されます。そこに写ったオーブが丸いものなら「円形絞り」、多角形ならその辺の数だけの羽根で絞りが構成されていると考えていいでしょう。
*「アイリス」「絞り」=光の侵入量を抑制する遮断板
また、フラッシュ撮影をしていないのに撮れるものもあります。完全な暗闇ではなく、微小な光源がどこかに存在していれば、フラッシュの有無や昼夜問わず、「オーブ」写真は撮れてしまいます。
オーブ写真を撮るコツは、レンズが小さめの画素数の低いデジカメを保存環境の悪い場所にしばらく放置して、さらにレンズの手入れもまったくせず、小雨が降ったり、埃が舞う様な環境で撮影すること。晴天の屋外での撮影でも既にレンズにはその元となる様な水滴が乾いた跡や埃が付着しています。
オーブを肯定する根拠としてオーブの中に顔や特殊な模様があることがあげられますが、これはオーブ特有の模様です。不思議な事にそういう模様があるが為にそこに意味性を感じてしまうのが人間の本能と言えるでしょう。これを「シミュラクラ現象(類像現象)」といいます。神社などで菱形や三角の光が撮れることがありますが、これも反射物の影響が多いのですが、説明がつかないもの、霊的なものも決してないとは言えません。 本物が写る確率は極めて低いという事です。
またオーブが光学現象によるものだと裏付けられる端的な理由の一つに被写体の背後に写り込むオーブがほとんどないことが挙げられると思います。つまり被写体が人だったとしたら、オーブの一部が人や木や建物に隠れて欠けて写るということはほとんどありません。これはあくまでもオーブ現象が立体的な実像の中で繰り広げられるものではなく、平面上でしか起こり得ない現象であることを物語っています。被写体の側にオーブが実在しているのではなく、カメラのレンズ側にオーブの要因となるものがあるということです。そのレトリックに気付かず表層的な神秘性に自己を投影し、癒され、自己存在の認知に用いようとする人の心の痛みや疲弊、不安定さこそが問題なのです。これはむしろスピリチュアル的な問題ではなく、メンタルな問題だということにそろそろ気付くべきでしょう。
もしも被写体の背後に写り込む、つまりオーブの一部が被写体に隠れている写真があれば、被写体側にそのオーブの実態があることになりますから、それが霊体である可能性はあります。尾を引いているものなどもそうかもしれません。その場合も周囲に微細な光源がないか、その光源に反射するような虫や自然由来のものがないかなど検証は必要です。
しかし私自身はオーブ現象の全てを否定している訳ではありません。動画で撮影されたオーブが徐々に姿を変え、布状の細長い物体になるケースもありますし、霧状のものが、徐々に丸いオーブになることもあります。写真に撮影されるオーブにも全ての条件(光学現象、自然現象など)を排除した上でも尚、原因不明のものは少なからずあることは付け加えておきたいと思います。オーブが撮影される様な場所は、湿気を含んだ場所であったり、微細な塵や埃が舞っている場所でもあったりします。そうしたものがオーブを形作る要因ともなりますが、同時に湿気が多い場所や、電気的な影響を受けやすい場所は霊的な現象が起こりやすいのは事実です。因みに汚れた川や池は導電率が高く、電磁波が生じやすいのですが、こうした水に含まれる電磁波が霊的な現象に結びつきやすい特性があります。海や川や池などの水場で霊現象が多く報告されるのはそのためなんですね。
ともかく写真に写ったオーブ全てが霊的なものでは必ずしもないということなのです。
オーラにしろ、オーブにしろ、メディアの功罪というのは大きいものですね。真実を覆い隠す事によって、別物の「定説」を作り上げ、それを煽ることで経済活動に結びつけて行く。そして、その定説によって悩んだり苦しんだり、いらぬ心配をしたりする人達がいて、またそういう人達を相手に商売する人達がいて。私自身もスピリチュアル的な活動をする者としては、その商売をする中の一人である認識はちゃんとしています。でも間違ったものは間違っていると指摘していかなくちゃいけないと思っています。この世界はお互いに批判をしないことが生き残る手段である、「障らぬ神に祟り無し」的な立場を取らざるを得ないことが多いのだと思います。しかし出版界やTVメディアでこれだけスピリチュアルが取り上げられ、その裾野が広がれば広がる程、本質が曲解され、またそれが故に不必要な悩みを抱える人が多いし、間違った認識の元で、それが語られ続けて行く事が端から見ていて何とも危なっかしくて耐えられない思いなのです。
何故、人は霊魂が物質社会とかけ離れた姿を持たない尊い存在だと知りつつ、色や形にこだわろうとするのでしょうか。私達のエゴや愚かさがそこにないでしょうか。
FUJIFILMによるオーブの見解
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