• マーク・ケイ

人生は灯火

最終更新: 2018年9月1日




自分の生い立ちを綴ったブログ「空無の森」では一向に明日への希望を見出せないで、絶望のあまり命を絶とうとしたことを書きました。


しかし、冷静に思い返せば私には「生かされている」という実感を得ずにはいられない経験が5回もあるのです。


最初の経験は生後数ヶ月の頃。勿論物心がついている訳でもないので、かなり後になってから父から聞いた話です。


ある日、家族が寝静まった深夜に、どこかの部屋で物音がするのを父が気付きました。母親と私は同じ部屋に寝ています。当時同居していた祖母かもしれない、深夜に何をしているんだろうと、父は起き出して物音がする部屋へ近付きました。すると暗がりの中、自分に向かって突進して来る様な足音を聞いた瞬間、父の肩には衝撃が走ったのです。


それは袋小路になった泥棒でした。鍵をこじ開けて部屋に忍び込んだのはいいのですが、父が起きてしまい、しかも自分がいる部屋に近付いて来たので、焦って父に向かって突進して来たのでした。そのまま逃走してくれれば良かったのですが、混乱したのか暗がりの中出口の玄関を見失い、さっきまで父自身が寝ていた部屋。つまり私と母親が寝ていた部屋に入り込んでしまったわけです。


物音を聞いた母親が起き出し、部屋の明かりをつけると、泥棒は咄嗟に寝ていた数ヶ月の私を抱きかかえ、刃物を突き付けました。父が落ち着くようにと諭し続けると、その泥棒は私を床に投げ捨てて逃走したのです。


幸い、私は無傷だったそうです。


2つ目はもう物心がついていますから、よく覚えています。


それは3歳の頃。父と私と、父の友人とその家族で海水浴に出掛けた時。私はまだ海が怖かったので、波打ち際で貝殻を拾ったり、砂を掻き集めたりして遊んでいました。父は友人と一緒に少し離れたところで私を見ていました。


遊んでいるうちに、突然足を取られて転び、ちょうどそこに私にとっては大きな波が来たのです。みるみるうちに足が届かない深さに達し、私は完全に波にさらわれてしまったのです。足掻いても足掻いても海の底に沈んでしまう恐怖に、手足をばたばたと動かし、助けを乞いました。どのくらいが経ったでしょう、波打ち際にいるはずの私がいないことに気付いた父が、海に飛び込んで私を抱きかかえてくれたのです。かなり海水を飲んでしまい、これ以降水が怖くなってしまいました。この時から1度も海で泳いでいません。


3つ目は、幼稚園の頃。4〜5歳でしょうか。父の郷里である熊本県の人吉市に向かう最中、人吉ループ橋に差し掛かりました。このループ橋は山の稜線を縫うように360°の弧を描いて橋が架けられていて、最も高い部分で60mにも達するのです。


このループ橋を車で通行している時に、大型のトラックに追突されてしまい、私と父が乗っていた車は、ループ橋の側壁を車体の半分が乗り越えた状態で停止。側壁の上で、絶妙なバランスを取りながら、ゆらゆらと揺れている状態になってしまったのです。落下すれば一溜まりもありません。その後、何とか無事に救出されました。この事故は後日新聞にも掲載され、大型トラックに乗っていたのは新婚旅行中の夫婦だったことが分かったのです。


4つ目は、小学校に入学したばかりの頃。当時住んでいた家のすぐ前には交通量の多い幹線道路がありました(筑紫通りといいます)。ある時、数十メートル先の横断歩道を渡らずに、停車中の車と車の間を縫って、隔てた向こう側の歩道へと走りました。運悪く信号は赤から青に変わり、停車中の車の奥の車線をタクシーが減速をせずに走って来たのです。私はタクシーに数メートル先まで、はね飛ばされてしまいました。この時も無傷で、そのまま起き上がり、立ち去ろうとしましたが、慌てて降りて来たタクシーの運転手に制止され、念のため病院へ。やはり膝の擦り傷だけで済んでいました。


後日、このタクシーの運転手さんから、お見舞いとして宇宙戦艦ヤマトのプラモデルを頂いたのを覚えています。


5つ目。幼い頃から重度の喘息に苦しんで、深夜に発作を起こし病院へ担ぎ込まれる事がしばしばありました。ある日、工業地帯の街にある親戚の家に遊びに行き泊まった夜、発作にみまわれました。この街はかつて大気汚染がひどく、ここに足を踏み入れる度に体調を悪くしたものでした。その日はいつもより重度の発作になり、ほとんど息が出来ない状態に陥り、呼吸が一時停止。この時の記憶はほとんどありませんが、気が付けば病院のベッドの上で寝ていて、目を覚ますと父がホッとした表情で私を見下ろしていたのを記憶しています。

このように生まれて数ヶ月から幼少期の間のわずか6年ほどの間に、生死を分ける場面が5回もあったことになるのです。


大人になって、こうしたことをつい忘れがちになり、自分の人生に灯った明かりに蓋をしようとしたり、吹き消そうとしてみたり、その明かりの放つ輝きが眩しくて目を閉じたり、そっぽを向いて生きて来た事もあったように思います。


5回も消えかかった火は、その度に新たに薪をくべられたかのように勢いを取り戻しました。そのせっかく灯った明かりを大人になった私は自分の手で消そうとしました。それは今思えばとても愚かなことです。しかし、そうした愚かしい出来事さえ、今では愛おしい気がします。


この灯っている明かりで、自分の足下を照らすのもいい、人を照らすのもいい。寒くなれば手をかざして暖まればいい、闇が怖くなったら自分で薪を拾って来て、その明かりをより強いものにすればいい。


かえって充実していて、幸せだと実感している時には、この自分に灯った明かりは見えないのかもしれない。星は暗闇でしか、その存在を認識出来ないように、この灯った明かりも、暗がりでしか自覚出来ないこともあるでしょう。でも、生きていればずっと灯っている。灯っているなら、それを絶やさない努力をすべきだし、その明かりに身を委ねてみるのもいいでしょう。


私は何故5回も薪をくべられたのかを、生きている間ずっと問うていかなくてはいけないのだと思います。私だけが「生き永らえた」のではなく、今を生きている人全てが、その明かりが、その輝きを弱めないうちに、ずっとずっと薪をくべられ続けて、今があるという事実に気付くべきなのではないでしょうか。


その「明かり」を使って、何をしますか?



公式サイト内のブログをAmebaブログにも投稿しております(2018.8.16開設)

是非フォロー下さい。

『篁霊祥命師 マーク・ケイOfficialblog ELEMENTAL』


*Blog更新情報の配信希望はこちら


#生かされる 

12/31/2018

鑑定のご案内

03/05/2019

ブログ 更新

Please reload

上の項目への遷移はメニュー表示からも可能です。

Copyright © 2010 ELEMENTAL WORKS All Rights Reserved.

魂の陰陽占術師
  • w-facebook
  • Twitter Clean
  • w-flickr

​本サイトはSSL暗号化通信

により保護されています。

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now