• マーク・ケイ

小倉の怪異を追って

最終更新: 1月21日

2020.01.21 画像追加、リンク修正


「背後に潜む者」というブログを以前書きました。


かつて住んでいた北九州市の小倉で私が実際に体験したお話です。


駆け出しのフリーライター時代に請け負った心霊ムックの執筆作業の際に起こった怪異の数々や、それに関係する商業施設での出来事について書いた記事でした。関係各所に配慮し、固有名詞を出すことを避けておりましたが、昨年末に改めて現地を訪れ、調べ直して分かって来たこともありますので、ここに備忘録を兼ねて記しておきたいと思います。


その商業施設とは小倉駅前にある「コレット」です。元々は平成5年に小倉そごうとして開業をしましたが、親会社の経営破綻から惜しまれつつ閉店。その後も玉屋、伊勢丹とテナントが移り変わるも、その度に経営不振に陥って閉店となっています。2月末の「コレット」の閉店後は暫定的に数十店が営業を継続し、空きフロアをリニューアル後に新施設として2020年春の開業を目指しているそうです。


この九州の玄関口、小倉駅の駅前すぐという絶好の立地にある「コレット」が営業する土地は、北九州にお住いの方々の間では「心霊スポット」として有名で、多くの目撃談があります。


その目撃談の内容のいくつかを、ここに挙げてみます。


●6階の女子トイレに幽霊が出て使用禁止になる

●地下駐車場3階に甲冑姿の武士の霊

●着物を着た女性の霊が地下駐車場を彷徨う

●地下駐車場でうずくまる人影が目撃される

●地下駐車場に何回塗り替えしても消えないシミがある

●従業員トイレの個室でヒソヒソ話が聞こえる

●1階ホールを落ち武者が歩く。そごう閉店を報じるテレビ放送にも映り込む。

●1階カフェで僧衣を来た僧侶と思われる霊が度々目撃される。声をかけると消える。

●従業員エレベーターに盛り塩がある

●女性従業員は1人でゴミ集積場(地下3階)に行かないようにとの暗黙の決まりがある

●6階のおもちゃ売り場に老夫婦の霊が出る。「可愛いお子様ですね」と声をかけてくるが足がない。

●文化庁が発掘作業をしたところ膝を抱えた人骨(屈葬)が大量に出た

●工事関係者の多くが工事中に肩を叩かれるなどの怪異を体験


このように多くの目撃談があります。


6階や3階での目撃談もありますが、ほとんどは地下駐車場での目撃です。これには訳があるのです。ここ「コレット」はかつて浄土真宗本願寺派の永照寺が建っていた土地です。永照寺は武将の村上大炊允道定(釈道證)が明応4年(1495年)に開基した由緒ある寺院です。


室町(現在の小倉城のある場所)に寺地がありましたが、小倉城築城の際に米町(現在「コレット」のある小倉駅前)に移転しています。豊前小倉藩の初代藩主である小笠原忠真の篤い崇敬を受けるなど、長年この米町に寺地を有していました。


戦後になると、小倉駅前再開発計画が持ち上がり、立ち退きの対象となりましたが、当時の住職がこれに反対したため再開発計画そのものが頓挫するに至ります。実際に永照寺が現在の大手町へ移転を決め、跡地に小倉そごうが開業したのは平成3年(1991年)になってからのことです。


この永照寺の移転の際、永照寺周囲にあった駐車場、レストラン、西楽寺、東岸寺跡地を含む周辺一帯で「京町遺跡」として大々的に江戸時代の遺構、遺物の発掘作業が行われています。この時「永照寺」と「西楽寺」跡で人骨や暮石の他、陶器、磁器、瓦、古銭などが出土しています。駐車場跡地で屈葬(膝を抱えた姿勢で埋葬された遺体)と思しき人骨が大量に(数百体に及ぶという話も)出て来たという記述のあるサイトなどもありますが、資料では西楽寺と永照寺跡地以外での人骨の出土が記録上ありませんので、どちらかで出土したものと思われます。また人骨は「小倉そごう」建設工事の際に出土したという噂が先行していますが、あくまで小倉駅前東地区再開発事業の一環として「小倉そごう」建設工事に入る前に行われた「京町遺跡」発掘作業の際に出土したというのが正しいようです。


膝を抱えたままの人骨であれば、それは確かに人の手によって埋葬されたものであり、墓地から出土したものとみて間違いないでしょう。この屈葬にも「座位屈葬」と言って上体を立てた形、つまり座った形で埋葬されているものや、仰向けの形の「仰臥屈葬」、横向きの形の「横臥屈葬」などがあります。この時に出土した遺骨がどのタイプの屈葬であったかは分かりません。


屈葬といえば縄文時代が思い出されますが、江戸時代に入ってからも、将軍家などに於いては一部屈葬(胡座の場合もあり)を取り入れていましたし、永照寺が当時の小倉藩主らから崇敬されていた事実を鑑みるに、武士などの高い地位の人々が埋葬されていた可能性が高いのではないでしょうか(現に「小倉そごう」開業後は甲冑姿の武士の霊の目撃報告が多かった)。


永照寺の敷地内で墓地があった場所は南東側で、これは現在の「コレット」では従業員入口、搬入口、駐車場入口に当て嵌まります。南東の角に地下へ伸びる階段がありますが、こちらは何故か長い間封鎖されたままです。また地下駐車場3階へのエレベーターも霊の目撃報告が多いため長らく閉鎖されていたという話があります。




1959年の小倉駅周辺の写真。写真上部が小倉駅。やや右に見える大きな屋根が永照寺。


やや角度を変えた写真。永照寺の本堂の立派さが分かります。


昭和12年の小倉市街地図 地図の年代によって西楽寺が東岸寺寄りの区画であったり、永照寺寄りの区画であったりする。


出土する人骨はあまりにも数が多く、回収作業は困難を極めたという話ですが、工期が迫っている関係もあって回収されずに残されたものも多いという情報もあります。それが本当であれば残された人骨の上に「小倉そごう」が建設されたことになります。この建設工事の際にも怪異が数多く発生しているそうで(工事関係者の肩を誰かが叩く、背中を押す、人影の目撃などは日常茶飯事)、小倉そごう開業後に目撃されている霊の正体は、この地に埋葬されていた武士達の可能性もあります。


(発掘作業は(財)北九州市教育文化事業団 埋蔵文化財調査室、現在の(公財)北九州市芸術文化振興財団 埋蔵文化財調査室が行い調査報告書が作成されており、図書館などで一般の方も閲覧可能です。近々、この報告書の確認作業を行う予定です)


これで地下駐車場に霊の目撃が集中する理由がハッキリします。


霊の目撃もさることながら、この建物では投身自殺が2度発生しています。25年ほどの商業施設としての歴史の中で、2度の投身自殺の発生が多いのか、少ないのかは分かりませんが、少し不思議に思えてならないことがあります。


それは投身自殺の発生場所、発生位置です。


その前に、ここ「コレット」にある神社のお話をしておく必要があります。「コレット」屋上には「瘡守稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)」があります。由緒に関しては以下のサイトが詳しいので、そちらを参照して下さい。

「瘡守稲荷神社」産土神名帳


簡単に触れますと、小倉城藩主の小笠原候に仕えていた真砂政次郎という武士が、主君に従い江戸に滞在していました。その際、花柳街(芸妓や遊女のいる街)で遊んだために性病を患ってしまいます。効くといわれる、あらゆる薬を試しても全く効果がないので友人の勧めに従って、江戸の南方にある「瘡守稲荷神社」に参拝して平癒を祈願します。早く完治すれば小倉に帰って祠を建てて、篤く敬うと誓詞を立てます。その甲斐あってか性病はすぐに完治して小倉に無事に帰ることが出来ました。しかし「瘡守稲荷神社」で誓詞を立てたことを忘れて1年間約束を反故にします。するとある梅雨の日に政次郎の自宅の門前に騎馬のけたたましい音が聞こえ「汝は、江戸にて瘡(そう)の癒えたるを忘れたりや」と叱責を受けたのです。この声にひどく怯えるとともに悔いた政次郎は、宝典寺別院大日堂境内に祠を建て、寛永14年(1637年)5月15日に鎮座の祭典を行いました。これが「瘡守稲荷神社」の謂れです。


その後も小倉に疫病などが発生した折には、霊験著しくこれが治るので小笠原家も崇敬しました。「瘡守稲荷神社」があった宝典寺は「コレット」から南に200mほどの場所ですが、小倉駅再開発にあたって現在の場所に遷座されています。

(大正期の古地図には「金毘羅社」との記述もあり)


「コレット」の最上階12階に鎮座し、1階に分社があります。







本社と分社の位置関係。12階屋上の左側角に本社が建つ。


この政次郎が誓詞を立てた江戸南方にあるという「瘡守稲荷神社」とは、どこなのでしょう。


それは東京都世田谷区瀬田にある「瀬田玉川神社」の飛地境内末社の「瘡守稲荷神社」なのではないかと思われます。江戸の南方(正確には江戸の西南)にあたり、二子玉川(当時の玉川村)は花街でしたので、条件に当て嵌まります。

「瘡守稲荷神社」瀬田玉川神社


さて「コレット」での投身事件に話を戻します。


投身事件は90年代中頃と昨年(2018年)4月の2回発生していますが、どちらとも「瘡守稲荷神社」の左横(「コレット(正確には7階より上は小倉駅前アイムの名称)」12階)から飛び降り、分社の右横に落下しています。昨年の場合は2階に張り出した通路に落下していますが、これは落下の角度によるものです。いずれにせよ分社の目前に落下したことには違いありません。位置関係は敷地の北東の角近くで「鬼門」にあたります(建物の鬼門封じのためにこの位置に置かれたのかは不明)。

「コレット」の画像 (屋上に「瘡守稲荷神社」の屋根部分が見える)


「背後に潜む者」でも触れていますが、私自身が90年代中頃に発生した投身自殺の現場を、発生直後に偶然通りがかっています。当時の情報がネットなどでは皆無なのではっきりしませんが、恐らく1996〜1997年にかけての時期だったかと思われます。1階にあったカフェでは目前の惨状にパニックに陥っていたことを覚えています。


霊験あらたかであるはずの神社と分社を結ぶ、この地上12階のライン上に自殺志願者を招き入れる "何か" があるのか?不思議です。


いろいろ調べてみますと、東京は銀座にある「朝日稲荷神社」について書かれた記事を見つけました。銀座松屋通り沿いの一角にあるビルの屋上に鎮座する、この「朝日稲荷神社」は創建年代は不明ですが、かなり古い時代から現在の場所にあったとされます。江戸時代後期の安政の大地震で社殿が倒壊後は長らくそのまま放置されていたそうですが、後に社殿が建立され手篤く祀られることとなりました。しかしその後、戦災で社殿が失われてしまいます。戦後、社殿が再建され昭和58年に現在のビルの屋上に本殿が安置されることになりました。


こちらの「朝日稲荷神社」は、本殿が屋上にあり、拝殿が1〜2階の吹き抜け部分に設置されています。1階と屋上はパイプで繋がれていて、パイプの中には土が入っているのです。つまり本殿は屋上に位置していながらも、しっかりと大地と繋がり鎮座していることになります。


追記:2019年12月5日、現地へ赴きました



1階に設けられた拝殿から屋上の本殿へと繋がれたパイプ。中には土が入れられている。


1階には拝殿があり、参拝者も多い。


屋上に鎮座する社。8階の社務所で御朱印の授与も行われている。


他にも同じく銀座にある「八官神社」も本殿が8階建のビルの屋上にあります。やはりこちらも拝殿は1階にあります。1階の拝殿と屋上の本殿は二重構造のパイプで繋がり、外側のパイプには土が詰められ、内側のパイプは空です。外側のパイプで地面と繋がり、内側のパイプで拝殿より祈願された願い事が本殿に伝わるという仕組みだそう。


こちらのWEBサイトの記述によれば、1970年頃の神社本庁からの通達によれば、神社の成立要件として「社殿が直接地面と繋がっていること」「社殿の上が空であること」が必要だとのこと。根拠となっているのは古事記に記された「高天原に千木高知り、底津石根に宮柱太敷立て」という部分。「岩の上に宮柱を立てて、千木は高天原まで届く」というような意味でしょうか。


(*現在でも神社本庁がこのような要件を神社側に求めているのかについては現在確認中)


「銀座屋上の神社仏閣をめぐる」


「人の住まない銀座に神社が増え続ける理由」


「銀座八丁神社めぐり」


拝殿での祈りが、屋上の本殿に伝わるようにという工夫もさることながら、それ以上に屋上にあることで大地に根差していない、不自然かつ不安定な本殿の安置のされ方を、このパイプと中に詰められた土によって補っているということでもあります。「本殿」と「拝殿」が階を隔てられて、大地と切れてしまうと神社として機能しない、神様の住まう聖なる場所として成り立たないということです。


この「朝日稲荷神社」の場合、屋上と1階部分に隔てられているのは「本殿」と「拝殿」ですが、「本社」と「分社」の関係にも、このロジックが当て嵌められるはずです。


つまり「コレット」は、「本社」と「分社」がパイプなどを以ってして「大地」と繋がっておらず、この双方を結ぶための「何か...」をいつも欲している状態に陥っているのではないでしょうか。それが「人」であり、所謂「人身御供」なのではないか、、、それ故に自殺志願者がここに引き寄せられているのではないかという推理も成り立つのかもしれません(憶測の域を出ませんが)。


勿論、建物の下に未だ掘り起こされず眠っている霊達によって、引き寄せられているとも考えられますし、その二つの事情が密接に絡み合っているとも考えられます。


今年2月末で「コレット」は閉店してしまいます。運営会社が決まって来年にはリニューアルもされることが決まりました。駅前という好立地であり、北九州市民になくてはならない商業施設でもありますから、リニューアル後はテナントそのものだけではなく、神社も含めた市民の憩いの場として愛されるような施設作りを是非ともして頂きたいと思います。逆転の発想で、神社そのものが多くの人が行ってみたくなるような清浄な場所として機能すれば、おのずと施設そのものも明るい雰囲気になり、集客が増えるのではないかと思われます。


パイプの設置を含めて、銀座の「朝日稲荷神社」は、良い手本となり得るのではないでしょうか。


「小倉そごう」の時からそうでしたが、どんなに良い店舗、流行りの店舗が入店したとしても、どこか館内全体に暗く重たい雰囲気が立ち込めているのは、行かれたことがある方でしたらご存知でしょう。従業員の間でも霊の目撃談も多くあります。


どのようなリニューアルになるのか、そういった意味でも楽しみです。運営会社(野村不動産グループ ジオアカマツ)の手腕、そしてこうした霊的な観点からも見つめてみる気持ちが必要なのかもしれません。


最後に、私の個人的な提案を書いておきたいと思います。


12階の「瘡守稲荷神社」ですが、実はこの建物の事実上の屋上は14階です。写真を見て頂くとお分かりになるかと思いますが、小倉駅側から見ると右側に円筒状の建物がくっ付いているような構造になっています。この14階には飲食店が入っています。建物単位で見ると、真上という訳ではないものの神社を見下ろす位置に人が飲み食いをする場があります。飲食店があるということはトイレなども設置されています。つまり不浄なものが神様を見下ろすようにある訳です。しかも社はその円筒状の構造物を向いて建っています。個人的にはこの14階のフロアを1から見直す必要があると感じています(飲食店、トイレなどを撤去し、展望専用フロアにするなど)。


また12階の「瘡守稲荷神社」と同じフロアにも飲食店が入っていますので、このフロアを「瘡守稲荷神社」への導線と位置付けて、人が賑やかに集える明るい空間へとリニューアルすべきです。



2020.01.21追記

小倉駅前ビル(旧コレット・アイム)の具体的な改装計画が発表されました。

小倉駅前商業施設「アイム」、順次改装 オフィス階も(日経新聞)

屋上整備、神社の配置や、パイプの設置をするのか否かなど、改装の中身が気になります。



【永照寺とその跡地の歩み】

1495年 開山

1608年 小倉城築城により米町(小倉駅前)へ

1810年 御坊(本願寺の出張所)となる

1991年 小倉駅前再開発により大手町へ

1993年 10月 そごう開業

199×年 女性の飛び降り発生

2000年 12月 そごう閉店

2002年 3月 玉屋開店

2002年 12月 玉屋閉店

2004年 2月 伊勢丹開店

2008年 3月 伊勢丹閉店

2008年 4月 コレット井筒屋開店

2018年 4月20日 飛び降り発生

2019年 2月末 コレット井筒屋閉店


<追記>小倉そごうメモリアル

小倉駅前東地区 再開発事業概要

全国遺跡報告総覧 京町遺跡2西楽寺(奈良文化財研究所)

全国遺跡報告総覧 京町遺跡3永照寺(奈良文化財研究所)


*暮石、人骨の遺物ありの記述

*随時、資料や写真を追加予定です。

*記事内に情報の誤りや、不備がありましたらご連絡下さい。

*新しい情報などをご存知の場合も是非ご連絡をお願い致します。


協力:西浦和也(現地にご同行頂いたり、調べ物を手伝って頂いたり有難う御座いました)


公式サイト内のブログをAmebaブログにも投稿しております(2018.8.16開設)

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