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神社での参拝の仕方について

最終更新: 2019年8月3日

昨今は「御朱印ガール」や「インスタ映え」などという言葉をよく聞くようになりました。


神社や神道に興味を持たれ、参拝に訪れる方々が増えるのはとても良いことですし、興味をお持ちの方はご自身で神社のことについてよく勉強をされておられると思いますから、作法や所作に関してもよくご存知です。


ただ、時折誤った作法や所作をされている方もいらっしゃいますし、他の参拝者の迷惑になる行為をなさっている方もお見掛けします。作法や所作など、どうでも良いという方もおられるでしょうし、ご自身の神社への関わりに適した参拝の仕方を自由にされて宜しいのですが、最低限、真摯に神様に向き合っておられる他の参拝客の方々に迷惑のかからないようにはしたいものです。


正しい知識の元で、より神社という素晴らしい空間を味わうために、ここに誤りがちな作法について書いておきたいと思います。


【神社内では静粛に!】


まず商店などが建ち並ぶ参道などでは良いのですが、神社境内ではなるべく静粛でいるべきです。賑やかであることは神様もお喜びになることではありますが、度を超えて大声で話したり、はしゃいでしまう行為はいけません。時折、お友達同士などで大声ではしゃいだり、走り回ったり、ふざけ合っている行為を見かけることがありますが、他の参拝者の迷惑になるばかりか、聖域であるはずの神社の静謐さを穢すことになってしまいます。


特に拝殿では、厳かで静謐な雰囲気の中で、神様に向き合い、また語りかけたいという思いが多くの方にあるでしょう。参拝中に背後で大きな声の喋り声が聞こえたりすると、(良い意味での)神様へ向き合うための集中力や緊張感が途切れてしまいます。拝殿前でご同行の方と話す場合は、小声で話し、なるべく私語は慎むというのが宜しいかと思います。


【神社は左側通行って本当?】


神社は基本的に左側通行だと言われます。真ん中は正中といって神様が出入りする通り道。神様が参拝者の願い事を叶えるために正中を通られるのを邪魔してしまう。この正中を塞いでしまわないように左側に寄って歩くのが正しいのだという説明をよく見聞きします。正中を神様が通るというのは、ここ10年、20年前から耳にし始めたことですので、恐らく昨今のスピリチュアル・ブームの中で誰かがそうした説を唱えだし、それを信じた方々が広く流布させたのでしょう。しかしこれは正しくはありません。それに神様(主祭神)が直接動いて願い事を叶えるということもありません。動くのはあくまで神使(眷属神)であり、本殿に祀られている神様ではありません。また正中を通るのは神様ではなく、勅使や宮司です。


正中を参拝する人が歩いても全く問題がありません。ただし参道のどちら側かに寄って歩くというのには、意味があります。(正中は勅使や宮司が祭司などの際、神と向き合う大切な場所であることには違いがありません)


例えば左側通行をしていると右側に手水舎(ちょうずや)がある場合があります。そうなると手水舎で身を清めるためには正中を一旦横切らなければならなくなります。正中を歩くのは問題がありませんが、正中を横切るのは神様に対して失礼に当ります。どうしても横切る場合には一礼をすべきですが、横切るような事態をなるべく避けるために、どちら側かに寄って歩くという作法の意味合いが出て来ます。


そもそも左右のどちら側を歩くかという問題は、その神社の正殿が参道に対して右側に位置しているのか、左側に位置しているのかに関係して来ます。正殿が右側に位置しているならば手水舎は左側にあり、左側に位置していれば手水舎は右側にあります。これはどういうことかというと正殿にいらっしゃる神様に畏敬の念(畏れ多いという気持ち)を持ち、なるべく神様に対して遠い距離から徐々に近付いていくという意味があります。


ここでお気付きかと思いますが、正殿が参道に対して左右どちらか側にずれているのかということです。大抵の神社は参道に対して正面に位置していると思われがちですが、実は少しずれているのです。これは正殿自体がずれた配置をされているのではなく、参道の方が正殿の正中を微妙に避けるように通してあるのです。ですから、参道の正中の延長線がイコール、正殿の正中ではないのです。こうしたことから、参道の正中を歩いたとしても、正殿の正中とは重なっていませんから神様に対して失礼に当ることはないのです。


例えば私の住んでいる福岡県で有名な神社に太宰府天満宮がありますが、手水舎が右側にあり、正殿が参道に対してやや左側に寄っています。これは正殿が左側にあるのではなく、参道が正中を避けて右側に寄っているということです。お祀りされている菅原道真公への畏怖と尊崇の念を持って、より距離をとって近付けるように、手水舎を更にその右手に配置しているということです。太宰府天満宮に参拝する場合、正中を横切らない為にも右に寄って歩けば、そのまま手水舎に立ち寄ることが出来ます。こうすることで左に位置している正殿へ最も遠い距離感を持って厳かな気持ちで近付いていけるということになります。


下の写真の神社の場合も、太宰府天満宮と同様に参道が右側にずれており、参道の正中線と神社の本殿から延びる正中線とがかなり明確な間隔でずれているのがお分かりになると思います。そしてずれた方向に手水舎が配置されています。


*社殿が参道の正中線に対して斜めに配されている(社殿が斜めに建っている)神社や、参道が真っ直ぐではなく90度直角に折れてから社殿に至る神社もあります。この場合も意味合いは同じになります。このような配置は御霊信仰、つまり怨霊と化した祟り神を祀る神社などに多く見られるとする説もあります。また拝殿の周囲に摂社や末社が鎮座している場合は左回り(反時計回り)で順に参拝しますが、これは陰陽を重視するためです。右回りは「陰」であり、左回りは「陽」となります。神道の神様は「陽」であるため「左回り」で参拝することにより「陽の気」を取り入れることになるわけです。また上述の太宰府天満宮は参道から左折して拝殿へ至りますが、これも「時計回り(陽の気を取って)」で拝殿へ至る意味合いがあります。


こうした配置に関しては神社本庁側が明確に定めているのではないようです。


結論から言えば、その神社の手水舎の位置が参道に対して、右側か、左側かを事前に知った上で、手水舎のある側の方を歩けば、正中を横切ることなく正殿に達することが出来る、どうしても横切る必要が出た場合は、正殿に向かって一礼をするということなのです。


よって、そもそも神社本殿の正中線と、参道の正中線はずれていますので「正中は神様の通り道なので、左側に寄って歩かなければならない」という説に矛盾が生じることになり、誤っていることが分かります。参道の正中を歩いても全く問題はありません。正中を歩くことよりも、むしろ正中を横切ることの方が失礼にあたりますので、横切る際は一礼、一揖を忘れないように心掛けておきましょう。


また正中は天皇の代理でもある勅使や宮司といった方がお通りになります。神様は参拝者や崇敬者の願い事を叶えるために正中を行き来することもありません。冒頭でも書いた通り、御祭神の神様自らが参拝者や崇敬者の願い事を叶えるために動くことはなく、実際に動くのは神使(眷属神)です。また神様は遷宮で行われる遷座祭によって御神輿に乗り移動をします。それ以外で神様が本殿から外にお出になることはないのです。


神社に行かれた際は、手水舎の位置などを確認してみて下さい。



京都市右京区・山國神社

【手水舎での作法について】


手水舎(ちょうずや)での作法については、かなりの方が正しい方法で身を清められていると思います。また多くの媒体(本や雑誌やネット上など)でも紹介されています。


古来から人は神仏と向き合う時に、自身が世俗で負った穢れを祓い、清浄になるべきであると考えました。つまり「禊(みそぎ)」と呼ばれる行為です。


この「禊」をかつては各神社の側にあった清らかな川や湧水などで行なっていましたが

近代になって水場を取り巻く事情も変化してきた為、神社の境内に「手水舎」という形で

「禊」の出来る場所が確保されるに至ったわけです。

(伊勢神宮では現在も五十鈴川御手洗場で身(手と口)を清める風習が残っています。手水舎も別途設けられています)


「禊」には「斎戒潔斎戒(さいかいけっさい)」という身なり、食、住まいに至るまでを徹底して清める作法がありますが、現在の「手水舎」で行う「禊」はこれを簡略化したものとなっています。


以下、手水の作法となります。


①まず手水舎を前にして「一揖」を行い、右手で柄杓を持ち、たっぷりと水を汲んで左手を清めます。


②次に、柄杓を左手に持ち替えて、右手を清めます。


③再度、柄杓を右手に持ち替えて、左手をお椀状にして、そこに水を注ぎます。


④その水を口に含んで、口をすすぎます。


⑤お椀状にした左手をもう一度清めます。


⑥その後、残った水で柄杓を洗い清めるために、柄杓を垂直に立てて残った水を流します。


この所作を流れる様な動作で行います。また水は最初に柄杓ですくった一杯のみです。

口をすすぐ際は、柄杓に口をつけない様に注意しましょう。


また上記の所作に加えて、以下の祝詞を心の中で、または小さな声で唱えて下さい。

これは「神拝詞(しんぱいし)」「唱えことば」などと申します。


「祓い給え、清め給え、守り給え、幸(さきわ)え給え」


手水舎で身を清める効果が、これにより倍増します。


【鳥居をくぐる前に】


鳥居をくぐる時は、一礼しましょう。角度は何度でなければならないという決まりはありません。人の家を訪ねる時に「お宅に上がらせて頂きます」という思いで、会釈をしてお邪魔するのと同じです。


【鈴の意味とは】


拝殿の賽銭箱の上には通常、鈴があります。二礼二拍手一礼の前にこれを鳴らすわけですが、これは神様に自分が来たことを知らせるためのものではありません。


巫女舞の時に、巫女が手に持って鳴らしている神楽鈴が原型となっています。この鈴の音によって魔を祓っていたのです。ですからこの賽銭箱の上の鈴を鳴らすのは「お祓い」と同様の意味があるということです。


現在の、私達が行なう参拝方法は、自由参拝といい、明治以降に簡略化されたものです。通常、昇殿参拝(正式参拝)で行なわれるお祓いを、簡略化した自由参拝でも自ら行なえるようにという配慮のもと、鈴が設置されるようになりました。


こうしたこともあり、鈴が設置してある神社では、力強く鈴を鳴らす方が良いということになります(鈴のない神社もあります)。


【柏手は大きく】


神社でオーバーアクションで礼をしたり、大きな音で柏手を打つ行為を「恥ずかしい」と思われる方は意外と多いものです。なるべく目立たないように、静かに、そして小さな所作でサッと終わらせようとする方が多いように見受けられます。しかし、それでは神様に「本日、私○○がここに参拝に参りました」という事実も、畏敬の念も、尊崇の念も伝わりません。


神社で美しい所作で、拝礼や、柏手を打っている方を見ますと、皆さん身なりが良かったり、背筋が伸びてパワーが漲っているのがよく分かります。そうです、正しい所作で神様に対する人というのは、他者にも同じように接し、何事にも真摯な態度で臨み、また自発的な行動が出来る人でもあります。それだからこそ、社会で成功したり、自分に自信が持てています。その結果として身なりの良さや、漲るパワーに繋がっているのです。


拝殿で「二礼二拍手一礼」(神社によって拍手の回数が異なる場合がある)をしますが、多く見受けるのが拍手の音がほとんど鳴っていないケースです。


「恥ずかしいから」敢えて音を立てないという方もおられるでしょうし、「別に音を立てる必要はない」と思っておられる方もいらっしゃるでしょう。大きな音で柏手を打ちたいのに、音があまり出ない方もいらっしゃると思います。


音が出ないのは、力が弱いからではありません。右手と左手を綺麗に左右対称に重ねて打っているからです。右手と左手を少しずらして打つだけで、かなり締まった大きな音が出ます。


その手のずらし方にも作法、方法があります。左右対称に重ねた両手の、右手側を手前に第一関節分ほど引きます。更に手前に引いた右手の掌を中心に上側にずらして柏手を打つと大きな音が出ます。


自室や旅先のホテルや旅館の部屋で不穏な気配や雰囲気を感じたりした時は、この方法で柏手を打ってみましょう。音が空間に吸い込まれる感じがして、あまり音が出ないはずです。逆に音がよく響く場所は、清浄な空間だと言えます。あまり音が響かない部屋は、何度か柏手をしっかり打って浄化を行いましょう。


柏手を打つ時に何故、右手を引くのでしょうか。


左は「火足(ひたり)」「陽(ひ)」「霊(ヒ)」であり、右は「水極(みぎ)」「陰(つき)」「身(ミ)」という意味があるそうです。つまり「左」は「神様」を表し、「右」は「人」を表しています。また「左」は「陽」で「右」は「陰」というわけです。両手を合わせる行為は「陰陽」の結合を意味し、右手を手前に引く行為は、「陽」に対して「陰」が、「神」に対して「人」が一歩下がるということを意味します。


右手を引いた状態で打つ柏手は、天地開闢(てんちかいびゃく)の音霊となり、神と繋がることが出来るのです。つまり神様のいらっしゃる家の玄関をノックするのと同じです。ノックの音が小さければ自分が訪れていることを知らせることは出来ませんし、礼を軽んじれば礼儀を欠くことになります。


このように所作には全て意味があります。オーバーアクションだと恥ずかしがらずに、美しい所作を意識して、礼の1つ、柏手の1つに気持ちを込めて頂けたらと思います。


【一揖】


「一揖(いちゆう)」と読みます。軽く頭を下げる(会釈する)ことを言います。


より丁寧な参拝方法として、二礼二拍手一礼の前後に「一揖」を行なう方法があります。

つまり一揖二礼二拍手一礼一揖となります。


「一揖」は「小揖(しょうゆう)」ともいいます。


神道での敬礼の仕方には「拝」「揖」とがあり、「拝」は最も敬意を表す動作で、90度の角度で腰を折って、一呼吸の間ひれ伏します。「拝」は主に昇殿参拝時の拝礼や、拝殿での参拝時(二礼二拍手一礼の礼が拝にあたります)に行います。


「拝」に次いで敬意を表す動作を「平伏(へいふく)」「磬折(けいせつ)」といい、「平伏」は座礼の場合、「磬折」は立礼の場合となります。腰を折る角度は60度で、主に祝詞の奏上の間の姿勢です。


次に「揖」は45度腰を折る「深揖」と15度腰を折る「小揖」とがあります。お祓いなどを受ける場合は「深揖」を、神社内でのあらゆる動作の前後には「小揖」を行います。


鳥居をくぐる時、手水舎でのお清め、昇殿参拝で玉串を受け取る時などは、この「小揖」を行ないます。


一見、複雑なようにも思われますが、動作は自然に身につくものです。

大事なのは神様を心から敬う気持ちです。


【お賽銭はいくらでも良い】


「ご縁があるように」という思いを込めて「五円玉」を入れるという方は多くいらっしゃると思います。「二重のご縁がありますように」との願いを込めて「二十五円」を入れる方もいらっしゃいます。また一部のスピリチュアルの専門家の方でお賽銭は「白い」お金、つまり50円や100円や500円玉を入れるべきで、10円玉は入れてはいけないと仰られる方もいらっしゃいますし、硬貨の枚数にもこだわりや、こうでなければならないという決め事を推奨していらっしゃる方もおられます。


しかし、お賽銭には何の決め事もありません。お賽銭とは志(こころざし)であって、神様へのお願い料、依頼料ではありません。ご自身が日頃、人並みにでも屋根のある家で雨露を凌いで暮らし、食事にありつける生活を送れていることに感謝の気持ちを示すため捧げるお金です。神様は人々の気持ちを感じたいわけで、金額や硬貨の色にこだわるといったことはありません。これらの言説は全て人間側の勝手な価値観に過ぎないことに気付かなければなりません。ご自分の懐具合に無理のない範囲でお賽銭の額は決めて良いのです。


お賽銭はいくら入れなければならない、白いお金の方が良い、そう決めた方がスピリチュアルという商材の中では都合が良いのです。


そもそもお賽銭箱が神社に置かれるようになったのは1540年の鶴岡八幡宮が最初と云われており、お伊勢参りなどの社寺への参詣が庶民に広がり、貨幣経済が浸透して来たことによって、神社にお金を捧げるという風習が根付くことになりました。


それまでは山の幸、海の幸をお供えしたり、お米を白い紙で包んだ「おひねり」をお供えしていました。これは全て現代のように願いを叶えて欲しいがために、供物をお供えするのではなく、無事に作物を収穫出来て、民衆がその年も生活を維持出来ることへの「感謝」の思いを表しているのです。


「お賽銭」の「賽」は「神恩に報いる」という意味があります。また神事や神饌として神前にに撒く米を「散米」といいますが、この「散米」に由来して「賽銭」は「散銭」と書くこともあります。こうしたことからも、「お賽銭」は感謝の気持ちを神様に伝えるためのものであることが分かります。


ですから、「お賽銭」はあくまでも参拝する方の志であり、自分の出来る範囲の金額、負担にならない額をご自分で決めれば良いということなのです。


「10円」でも「100円」でも「1万円」でも自由なのです。


ただし、感謝を伝えるためのお金ですから、決して賽銭箱に投げ入れないで下さい。神社で多く見受けられるのは、賽銭箱に投げ捨てるようにお金を放る行為です。人に感謝の気持ちを込めて何かを渡す時に、投げて渡すでしょうか。人に対する時の礼儀と、神様(神社)に対する礼儀とは変わりありません。私はなるべく人が込み合っている時期の参拝は避けています。お賽銭を投げざるを得なくなるからです。


お賽銭を投げ入れる時の、小銭の音は邪気払いの意味合いがあるのだから投げても良いのだ、更にはより大きな音がした方が良いのだと言われる方もいらっしゃいますが、そうした「祓い」の意味合いは、お賽銭ではなく前述した「鈴」が担っています。


「神恩に報いる」、神に感謝の意を伝えるための「お賽銭」は、賽銭箱に静かに入れたいものです。


【祝詞を唱えましょう】


神社に行くことがお好きであったり、神社でより清々しい気持ちになりたい、または今後自分の人生を目標を持って変えていきたいと思っている方には、是非この天津祝詞を唱えて頂ければと思います。それほど長くはない祝詞ですので、何度も唱えているとすぐに覚えることが出来るはずです。


二礼二拍手一礼の後、若しくは二礼二拍手と一礼の間に唱えて頂いても構いません。

普段の生活で、気分が優れない時、邪気や邪念を祓いたい時にも効果的です。


天津祝詞 / 禊祓詞


高天原に神留り坐ます

(たかまのはらにかむづまります) 神漏岐神漏美之命以ちて

(かむろぎかむろみのみこともちて) 皇御祖神伊邪那岐之命

(すめみおやかむいざなぎのみこと) 筑紫日向の橘の小門之阿波岐原に

(つくしひむかのたちばなのおどのあわぎはらに) 禊祓ひ給ふ 時に生坐る祓戸之大神等

(みそぎはらひたまふときにあれませるはらえどのおおかみたち) 諸々禍事罪穢を祓へ 給ひ清め給へと 

(もろもろまがことつみけがれをはらへたまひきよめたまへと)

申す事の由を天津神地津神 

(まをすことのよしをあまつかみくにつかみ)

八百万之神等共に

(やおよろずのかみたちともに) 天の斑駒の耳振立て所聞食と畏み畏みも白す

(あめのふちこまのみみふりたててきこしめせとかしこみかしこみもまをす)


【正式参拝】


「鈴」の項目でも書きましたが、ここで扱っているのはあくまで私達が日常、神社に行って行なう「自由参拝」についての作法です。


特別に祈願したいことがある場合などは、正式参拝をされても宜しいかと思います。祈願者が拝殿に上がって、神職からの神事を受けます。


社務所で初穂料五千円〜を納めて指示に従って昇殿での参拝行ないます。

神社によって、初穂料や作法は異なります。

神社によっては巫女舞が執り行われることもあります。


私は年に一回、年の初めに正式参拝をしております。



以上のことを念頭に置いて、休日にお好きな神社に参拝に行かれてみてはどうでしょうか。


ここに書いた作法、所作は明確に決められたものではありません。

最終的には、参拝をされる皆さんの自由意志です。


ただ、神様に自分の思いをしっかり伝えたい方、向き合いたい方は、こうした作法や所作を身につけておくこと、知っておくことは必要かもしれません。あまり「作法を守らなきゃ」というプレッシャーが強くなってしまっても、神社へ赴く楽しさが半減してしまいますし、カチコチになって緊張してしまいます。


本当に大事なのは、ご自身が参拝しようとする神社に対峙する時の真摯な気持ちです。



現在、当記事は加筆修正した上で「女性の心と体を調えるスピリチュアルメディアAGLA(アグラ)」にて掲載されております。以下のリンクからお読みになれます。


『神社での正しい参拝作法と所作について』



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