マーク・ケイ
蝶はあの世からの使者

最近、お客様から素敵なお話を伺いました。
ご自宅のソファーの上に突然「蝶」が現れたので、どこからか部屋の中に紛れ込んだのだと思って、そっと手で包んで外へ逃がしてやろうとされたそうです。しかし「蝶」は一向に手の平から飛び立たず、指にしがみついたまま離れようとしないというのです。
そのまま仕方なく、部屋の中に連れ戻り蜂蜜を与えると、嬉しそうに蜂蜜を吸ったそうです。その日はその方の部屋で一夜を過ごし、朝一番でもう一度蜂蜜を与えて、外へ放してあげると頭上を一周旋回した後に飛び去って行ったのだそうです。
その方は「蝶」が力強く指を掴んだ感触が忘れられない、それはきっと亡くなったばかりのお祖母さんに違いないと思われたそうです。私もそれは間違いなく、その方のお祖母さんであると確信しています。
そんな話を聞くと多くの方が、亡くなった人が「蝶」になって現れるなんて迷信だと一笑に伏すのかもしれません。
そこで「蝶」について書いてみようと思い立ったのです。
奇遇にも、私自身が今年のお盆にとても不思議な「蝶」に纏わる体験をしました。
私は亡き父の遺骨をお墓や納骨堂などに納めずに「手元供養」と呼ばれる方法をとって自宅に安置しています(祖父や祖母などのご先祖様のお墓はあります)。
お盆の迎え日である8月13日の夕方、部屋の中で寛いでおりますと窓際をヒラヒラと「蝶」が舞っているのに気付きます。昔から「蝶」は亡くなったご先祖様がその背中に乗っているんだとか、亡くなった者が姿を変えて「蝶」になっているのだという話を聞きます。ですから、それを見てすぐに「父親が帰って来た!」のだと思い、ゆっくりと「蝶」の動きを観察しながら近づき窓を開け放ちました。
すると、その「蝶」は何の躊躇いもないかのように部屋の中に真っ直ぐ入って来て、部屋を3周ほど舞い飛んだ後で、父の骨壷の上に止まったのです!時折、黒地に白の帯のある気品のある羽根をゆっくり閉じたり、開いたりしながら、まるで旅に疲れた羽根を休めるかのように、そこに佇んでいるんです。
その様子を見て尚更「これは間違いなく父親だ!」そう確信ました。「蝶」は何時間でも、父の骨壷に止まったままです。無下に捕まえて外に逃がすわけにもいかなくなりました。その日は、そのままにして部屋の明かりを消し床に着いたのです。
翌朝、起きてすぐに骨壷を見に行きましたが既にそこには「蝶」がいません。寝ている間、室内を飛び回って、どこか違う場所に止まっているのではないかと、ありとあらゆる場所を探しましたが「蝶」はついに見つかりませんでした。勿論、しっかり戸締りをしているので、室内から外に出ることは出来ません。家具の隙間などもくまなく探したのですが、痕跡すらなかったのです。
「蝶」という姿を伴って帰って来た父は、息子の元に辿り着いた時点で、既に「蝶」としての姿を留めておく必要がなくなったのでしょう。「蝶」の姿を取るということは、それは一つのメッセージ性を含んでいるように感じられます。肉体を持たない霊として家族に会いに来ることも出来るのでしょうが、それをせず「蝶」の姿を取るということは、紛れもなく生きている人間に「視認」させようという意図があるわけです。
その「蝶」を見て、愛する亡き家族を想像する人と、全く想像すらしない人がいます。
「蝶」を見て「我が愛する家族が会いに来てくれた」と想像する心にこそ霊性が宿るのですし、その想像力こそが、ひたむきに何かを信じ、愛し、許すことにも繋がります。霊達はきっと、私達のそうした想像力を掻き立て、あちらの世界から愛あるメッセージを送っているのかもしれません。そうしたメッセージに気付ける人間でありたいと切に思います。
不意に私達の元に現れる「蝶」は本当にご先祖様だったり、亡くなった愛する者達の変化した姿なのでしょうか。
私が印象深く記憶している「蝶」の逸話に、漫画家の故水木しげるさんのお話があります。
水木さんは20歳になると徴兵検査を受け、21歳で召集令状が届きます。歩兵第229連隊所属となった後、戦地ニューブリテン島ラバウル(パプアニューギニア領)に送られます。
当時のラバウルは日本軍が占領しており、ニューギニア本島への前線基地として10万人近い大軍が配置されていましたが、連合国軍の攻撃によって連日空襲や戦闘が繰り広げられていました。
水木さんは放浪癖があり、こっそり兵舎を抜け出しては、ラバウルの豊かな自然に魅せられながら森の中をふらふらと歩き続けます。ガジュマルの木が生い茂った林を通り抜けて、とある一軒の家の前までたどり着くと水木さんは足を停めます。
その家の周りには数知れないほどのハイビスカスが咲き乱れていたのです。そのハイビスカスの花の中に1人の美しい少女が立っています。
少女の名は「エトラリリ」。
この日の出会いをきっかけに水木さんは、この場所へ足しげく通うようになっていきます。
ハイビスカスに囲まれた少女の家にも招かれるようになった水木さんは、そこに暮らす家族とも打ち解けていきます。家族は精一杯のご馳走でもてなし、帰りにはお土産を持たせてくれたりもしました。
「エトラリリ」は水木さんに会うと、いつも頬を赤く染め、はにかんだような微笑みを浮かべます。しかし、水木さんは1度だけエトラリリの激しい一面を垣間見たそうです。
ある朝、水木さんは毎朝5時に行われる兵舎の掃除と自給用の畑の手入れをさぼって班長に怒鳴りつけられ、殴られていました。するとどこからともなくエトラリリがその場に走り込んできて「こんないい人を、なぜ叱るの?」と抗議を始めたのです。そのあまりの剣幕に班長も叱ることを諦めてしまったのです。
水木さんとエトラリリそしてその家族との交流はその後もしばらく続きました。そして終戦、日本へ復員した水木さんは美術学校に進んだ後、漫画家としての地位を築いていきます。
復員して30年ほど経ち、ラバウルでの思い出も薄れかけた頃、散歩の途中で商店街の一角の花屋の店先にある小さな鉢植えのハイビスカスを見つけます。ハイビスカスに近寄って小さなその花を見つめていると忘れかけていたエトラリリと過ごした南の国での甘酸っぱい気持ちが、胸の奥から蘇って来たそうです。
水木さんは、店先に置いてあったハイビスカスを全部買い占めて自宅へ戻りました。庭に10数個のハイビスカスの鉢植えを並べて、その真ん中に腰を下ろしていると一匹の黄色い蝶が突然現れます。黄色い蝶はハイビスカスの花から花へ思いのままに飛び回り、空高く舞い上がっては、また舞い戻って花と戯れます。一向にハイビスカスから離れようとしません。
翌日も、またその翌日も、毎日のように同じくらいの時刻になると、黄色い蝶が現れました。水木さんは予感めいたものを感じ、エトラリリの家の近くに住んでいた村長に手紙を出します。村長からの手紙の返事を待っている間に、大切に育てていたハイビスカスは少しずつ枯れていきます。全てのハイビスカスが枯れてしまった頃、ようやく村長からの返事が届きました。
「エトラリリは、ふた月前に死んだ」
水木さんの予感は当たっていたのです。エトラリリの住む村には「死ねば蝶になる」という言い伝えがあったそうです。エトラリリは水木さんに会うためにパプアニューギニアから黄色い蝶となって飛んで来たのでしょう。水木さんに散歩をさせ、ハイビスカスを見つけさせたのもエトラリリなのかもしれません。
水木さんは、こんな回想もされています。
「ぼくたちの部隊が玉砕した場所に、生き残りの三人が赴き、墓をたてて酒をかけたところ、どこからともなく蝶がとんできて、その墓にじっととまっていたことがあった」
*「水木しげるの不思議旅行」水木しげる著 中公文庫より
私自身も、こんな話を知人から聞いたことがあります。
Aさんはある山に登頂するために、山小屋泊の四泊五日の行程で縦走を始めました。その行程の途中で天候が急変し、視界を遮られて山小屋にたどり着けないまま夜が訪れてしまい、その場でビバーク(緊急避難的に野外で一夜を過ごすこと)せざるを得なくなります。
装備は完璧でしたが、疲労と寒さで体力が奪われる不安にかられます。何とか孤独な夜を耐え抜き、朝を迎えましたが視界の悪さに変化はありません。焦っていた彼は早く山小屋に着きたいと、身支度を整えて先を急ぐ決心をします。しかし、彼は足を滑らせて滑落してしまいます。
幸いそれほど高い場所からの滑落ではないようで、大きな怪我もありません。骨折などはしていないようですが、身体のあちこちに痛みがあります。また滑落したせいで登山道から大きく外れてしまっています。未だ視界が悪い中で闇雲に動くと遭難してしまう。そう思った彼はそこでしばらく体力が回復するのを待つことにします。
刻一刻と時間だけが流れます。天候が回復しないことと、登山道を大きく外れてしまった不安、身体の痛みが、彼を焦らせます。すると目の前の岩肌に一匹の蝶が羽根をゆっくりと動かしながら止まっていることに気付きます。蝶はしばらく岩肌に止まっていましたが、数分もするとフワッと舞い上がりました。何故か、彼はこの蝶についていかなきゃと思ったそうで、重たい身体を引きずって動き出した蝶を追いかけ始めます。少し進むと、蝶はその動きをピタリと止め、また少し進むと、また止まる。彼がちゃんとついて来ているか確認でもしているかのようだったそうです。
どのくらいそうやって蝶の先導で歩いたことでしょう。気付くと見慣れた場所にたどり着いていました。昨日歩いた登山道です。彼はここから元来た道を戻り、山小屋に避難することが出来ました。
下山して調べてみると、ビバークした翌朝に滑落をした現場が判明しました。そこは何と、数ヶ月前に遭難者が息絶えていた場所だったのです。亡くなった遭難者が蝶となって、自分の二の舞にならないように登山者の命を守ろうとしてくれていたのでしょう。
亡くなった者が「蝶」となって愛する家族の元を訪れたり、時には全く縁も所縁もない人を助けたり、という体験談は意外に多いものです。またその「蝶」が「亡くなった者」であるという確信を得るに値する不思議な事実の数々もあります。
実は「蝶」はあの世でも、多くの人々にその姿を見せているのです。
脳神経外科医のエベン・アレグザンダー氏は突然、細菌性髄膜炎に罹患し昏睡状態に陥った際に「臨死体験」をしています。この時に無数の蝶が飛び交う、あの世と思われる世界(そこは田園風景でエベン・アレグザンダー曰く"ただ美しい、夢のような世界")で、一匹の蝶の羽根に乗った女性が言葉を介さずに語りかけて来た様子が氏の著書「プルーフ・オブ・ヘヴン」に書かれています。
*その蝶の羽根に乗った女性は「あなたは永遠に、深く愛されています」「恐れるようなことは何もありません」「あなたのすることには、ひとつも間違いはありません」と語ったそうです。
「蝶を放つ」の著者である長澤靖浩氏もコンサートの鑑賞中に突然の心室細動に見舞われ13分間に渡り心拍停止となり「臨死体験」をしています。長澤氏もエベン・アレグザンダー氏と似た経験をされています。
この「臨死体験」をしたお二人の著作の表紙には印象的な「蝶」がデザインされています。


死後の世界を垣間見た人々が、花畑に舞う無数の蝶を見たという話は多いものです。やはり「蝶」はあの世からの使者なのでしょうか。先に旅立った愛する人を運ぶ、乗り物なのでしょうか。
「蝶」は遥か昔から「死」と「復活(再生)」の象徴とされています。
これは私たちが通常考える肉体が滅して無に帰すという意味での「死」や生き返るという意味での「復活(再生)」ではありません。「蝶」は卵から幼虫となり、そして蛹から成虫へと完全変態を遂げて美しい「蝶」へと成長を遂げます。この変態の様子が人間でいう霊魂の「輪廻転生」を表していると昔の人は考えたのでしょう。つまり「霊的な進化」とも言い換える事ができるでしょうか。
「愛する人を亡くしたあなたへ」という記事でも、再三に渡って「死」は終わりではないということを訴えました。「生」と「死」が一体であることを。「蝶」はその象徴でもあるのです。
現在の私達は、卵であるのか、幼虫であるのかは分かりません。しかし、進化の途中であることに変わりはありません。苦しさ、悲しさ、寂しさを日々経験していくことで、優しさや慎ましさを学び、人を信じたり、愛したり、許したりすることを習得していきます。その経験の幅や学びの質に応じて、私達は肉体が滅んだ後、卵から幼虫へ、幼虫から蛹へと霊的な進化を遂げていくのだと思います。蛹から羽化して「蝶」となった時、私達は「蝶」の姿のまま愛する家族へメッセージを送るために、この世を訪れるのかもしれません。
このことを古代の人々は本能的に認識していたのではないでしょうか。そしてその観念が長年に渡って積み重ねられ、それがあの世にも投影され「蝶」が私達の元に、その象徴として姿を現しているのではないかと思うのです。

「死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話」などの著作で有名な今は亡き精神科医エリザベス・キューブラー・ロスは「死」について人生をかけて追求した人でした。そんな彼女も「死と蝶」についての関係性について興味を持っていた1人でした。
彼女の著作によると、ユダヤ人大量虐殺の舞台となった収容所の壁一面に無数の「蝶」の絵が描かれていたというのです。日々迫り来る「死の恐怖」に苛まれた人々がどんな思いで「蝶」の絵を描いたのでしょうか。この絵を見た彼女は「蝶の謎」について探求を始めます。
いずれにせよ「蝶」は私達と、向こうの世界を繋ぐ橋渡しであることは間違いなさそうです。
これから貴方の前に「蝶」が不意に姿を見せたら、先に逝ってしまった貴方の愛する人だと思って話しかけてみてはどうでしょう。
*以前の公式サイトのシンボルは「青い蝶」だったのを思い出しました。
現在、当記事は加筆修正した上で『"女性の心と体を調える新感覚スピリチュアルメディア"AGLA(アグラ)』にて掲載されております。以下のリンクからお読み下さい。
『蝶はあの世からの使者?不思議な蝶が伝える「死」と「再生」のメッセージ』
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