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トレッキング・ワーク

マーク・ケイによる不登校、引きこもり、心の病、生きづらさを抱える方、またはマーク・ケイの鑑定を受けられた方を対象にした登山指導を今後行う予定で準備を進めております(これまで試験的に数度実施しております)。登山はスポーツではなく哲学的行動です。自分と語り合いながら仲間達との楽しい山歩きを通して新しい人生のスタートを切りましょう。指導は無料で行います。 

私自身、音楽や映画、読書などインドアで楽しむ趣味が多く、スポーツや身体を動かす活動とは縁遠い生活でした。でも、どこかで登山をやっている人の心境や心理に興味を持っていました。「あんな、しんどいことを何故やるのだろうか」「山に登っている人は何故あんなにいつも楽しそうで、笑顔が美しいのか」そんな疑問を持ち、どこかで自分と対局にいると決めつけていたからこそ憧れの気持ちもあったのかもしれません。

ある時、とても悩んでいた時期に、一冊の本に出会いました。
その本はノンフィクションで、登場人物である一人の男性の存在が自分と重なりました。

人に期待をし、その期待が削がれると意気消沈してしまいます。そうだとしたら人に期待をするのではなく、眼前に広がる自然に期待をすれば良いし、そこに挑む自分自身に期待をすればいいのです。自分の中に答えがないのならば、人に答えを求めるのではなく、この自分を取り巻く壮大な自然に答えを求めればいいじゃないか!そう思えたのです。

それから私は登山にトライすることとなるのです。

 

幸せをもたらしてくれるのは、自分の存在意義を認識させてくれるのは、他者であると、人は人間関係にばかり多くの期待を寄せてしまいますが、そんなことはありません。貴方が見ようとしていない美しい世界が無数に存在しているはずです。

 

人はそこに立ち止まって、自分の不幸の数ばかりを数えて、既にある幸せの数を数えることを忘れてしまっているのかもしれません。貴方の生活に新しい光を灯すのは、他の誰かではなく自分自身なのです。

山に登っていると、登り始めの数十分は地獄です。
呼吸は乱れ、足も痛くなってしまい、そもそも登山をしようとしたことが間違いではないか、ここで引き返そうか、登山になんて意味があるのかとさえ考えてしまうものです。

しかし、それに耐えてしばらくすると、自分の足元しか見なくなります。それに無心でいることに気付きます。ただ余計なことを考えずに、ひたすら足を前に進ませるという単純な作業に打ち込んでいるんです。

そうすると、疲れよりも恍惚感とか、清々しさを感じ始めます。前を向いて、早く山頂に着かないかなとか、早くお弁当が食べたいなとか、登山をすることによって生じる「正」の部分「利」の部分にのみ意識がいっていては感じられなかった感覚を味わうのです。

しかし、また山頂間際になると苦しくなって来ます。これまでの疲労が蓄積しているのです。そこを踏ん張って、さっきの恍惚感を忘れるな、頂上を想像するよりも、今を楽しもうと意識します。

そして、山頂に着きます。すると疲労は吹き飛び、そこに登った意味を実体験として感じられるのです。

下界で悩んでいたことの小ささ、そのことが持つ意味を深く考えられ、自分や自分を取り囲む雑多なものを俯瞰から眺められます。そして山頂を吹きすさぶ風、さえずる鳥の声、青々とした森、匂い、それが自分の中を一陣の風となって吹き抜けて行く時に、様々なことを悟った気持ちになるのです。

あぁ、自分はこれを知るために生きていたんだな、それにこれを味わうことが自分の仕事にも役立つんだな、登山に出会わせてもらえて良かったし、人生は如何に不思議なものだろう。数年前の人生では考えられなかった事だと思いました。これこそが人生です。

きっと、こういう感覚が皆さんにも役立つのではないかと思っています。


登山をしたり、自然に触れていると、自分との語らいが出来ます。自分に語りかけ、自分がそれに答える。ありのままの自分を認められる様になり、自信が漲って来ます。自分との十分な語らいがあって初めて人に対して寛容であることが出来ます。人に優しく利他的な視点を持つことが出来ます。

先ほども申し上げたように、自分を幸せにするものは、人間関係だけであると思い込んでいると、人は迷路に迷い込みます。幸せは自分の周囲に広がっているのに、その存在に気付こうとしなかっただけなのかもしれません。

自然に踏み込み、山に登って達成感を感じると、また次の山を探して登ってみたくなります。そうした気持ちが日常に与える影響は非常に大きいものです。

登山は身体を使って登る体力勝負のスポーツではありません。登山は心で登る哲学的行動です。

人に「一緒に山に登りませんか?」と言うと大抵は尻込みして断る言い訳を考えたりします。

これも人生と重なる部分です。
未知の領域や労苦を味わうことに対して臆病になったり何に対しても躊躇したり億劫になっている証拠かもしれません。

山や自然に踏み出せたら、きっと人生を変革して行くことが可能なのではないでしょうか。そういう自分の意志を図るものでもあるのです。

私の当初の疑問。
「山に登っている人は何故あんなにいつも楽しそうで、笑顔が美しいのか」

それは、自分に自信が持て、人に寛容であれるからだと分かりました。


人間関係だけに過剰な期待をしていないのです。自分は自然の一部なんだと認識出来ているベースがあり、それによって「今」という時間を愛おしもう、楽しもうとするスタンスが生まれるのです。

心の病を持っていたり、生きづらさを抱える方々は、どうしても昼夜が逆転してしまいます。昼間はプラスに考えられる物事も、深夜にはマイナスに考えてしまい、その考えに埋没しがちです。この昼夜逆転が脳の神経伝達物質であるセロトニンの分泌を阻害してしまいます。

登山は、このセロトニンを増やすことに役立ちます。登山をすることでセロトニンの分泌に役立つ太陽光を浴び、また身体を動かすことで、夜しっかり眠れることにも繋がり、昼夜逆転の生活を改善させることが可能です。また体力を消費することで不規則な食生活も改善出来る余地があります。

如何でしょうか。登山を始めてみたくなったら、是非マーク・ケイに声をおかけ下さい。

現在は、鑑定をお受けになった方を中心に、少人数で最寄りの山を中心に山に登ったり、トレッキングをしたり、ハイキングをしたりということから始めております。

こうした活動を定期的に続けながら、当初の目標として屋久島の縄文杉に出会う旅を企画したいと考えています。「呼ばれた人しか行けない」などと言われていますが、しっかりとそこに行きたいという意志と、それなりの準備さえすれば誰でも辿り着けます。縄文杉までの道のりは様々なドラマがあります。険しい山道ではなく整備された山道です。その代わり往復9~12時間はかかります。苔むした神秘的な森に雄大な巨木、山道を横切る鹿達。縄文杉に辿り着いた人達は皆その場に立ちすくんで、その縄文杉の荘厳さと威厳にひれ伏さんばかりです。座り込んで泣いている人も多くいます。人生観とはこういう時に変わるのだろうという瞬間がそこにはあります。

こうした感動との出会いを、多くの人に経験して頂き、旧態依然とした自分の人生に変革を起こして欲しいと思いますし、そのお手伝いが出来れば幸いです。きっと素晴らしい切っ掛けになることでしょう。

屋久島は星も美しいのです。都会では星はまばらですが、屋久島では夜空一面に星が無数に見えます。そして圧巻は流れ星!数秒に一回は流れ星が見えるのです。それに星が都会よりも近くに見えます。そんな星を眺めながら、縄文杉を皆さんで見れたことの労をねぎらいながら、語り合えたら楽しいですね!

皆さんと山で出会えることを楽しみにしております。
是非、ご連絡下さい。

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